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第二章 Draw...?
2 一時間くらいが経過して、女は目を覚ました。 女が気を失っている間に聞いた話によると、絵描きの男とこの女は幼馴染みのような関係に有るらしい。幼馴染みと言う割には、絵描きと女は結構歳が離れているように視える。 絵描きが握力を失ってから、女が周りの世話をしてくれているという話も聞いた。 目覚めた女にオレの事を説明するのは面倒だった。三度気絶を繰り返し、オレが一旦部屋を出てから絵描きが事態を説明し、女は半信半疑という感じで、不承不承と事態を何とか受け入れてくれた。 「……んー」 「何だよ……?」 「なんていうか、まだ、信じがたいのよねー」 あー、めんどくせー。 「信じがたいも何も、実際にオレ様はアンタの目の前にいるんだから、信じるしかないだろ。でなきゃ、アンタはトンデモなサイコ野郎って事になってまう」 「……む、野郎じゃないもん」 そこかよ。 それと、さっきからちょこちょこと適当に物を投擲してくるのは止めていただきたい。マジで。 「――いい加減にしないとキレるぞ?」 「キャー、コワーイ。これだから最近の若者は」 「勝手に若者って決め付けんなよ。ていうかアンタも最近の若者だろうが」 「成人してるしっ! だから、キレやすい若者じゃないし! あなたみたいなガキとは違うのっ! オトナの魅力が漂ってるのっ!」 「はぁ?! 成人してたらガキじゃないなんて誰が決めた? ていうか、ガキって決め付けんなって!」 「じゃあ、あなた幾つよ?」 「……知らん」 「自分の歳が分からない?! バッカじゃないの? バーカ、バーカ!」 「うっせ、このクソ馬鹿野郎! 何かもう、いっそ死ねよ。可能な限り惨たらしく死ね!」 「野郎じゃないもんっ!」 「と、とりあえず二人とも、仲良く静かにしてくれないかな? ここの壁って薄いし、近所迷惑だし、怒られるのは僕なんだよ……」 絵描きの説得に応じ、オレたちは口を噤んだ。 我ながら、低レベルな口争いをしてしまったものだと反省。こんな事はどれくらいぶりだっただろうか。 「で、ユイは何をしに来たの?」 どうやらこの女の名前はユイというらしい。 「あ、そうそう、忘れてた。ご飯を持ってきたのよ。まだ、食べてないでしょ?」 ユイはビニール袋の中からタッパを取り出した。 「毎度の事ながら助かるよ」 「もう、いちいちお礼なんて言わなくていいよ」 タッパは二つ有り、片方の中身は白米。もう片方の中身は肉じゃがだった。……腹減 ったな。 「なぁ、オレの分は、」 「ないわよ」 即答。 「あたりまえでしょ。最初から一人分しか用意してないんだから」 「じゃあさ、次からはオレの分も作って持ってきてくれよ」 「えー、めんどくさいなぁ。……ていうか、次からって、ここに居座るつもりなの?」 「ああ、しばらくここに住む事になったらしい。という事で、次からはオレの分の飯も用意してくれると非常にありがたい」 「えー、めんどくさいなぁ」 面倒なのはこっちだ。 「そう言わずに持ってきてやってくれないか? 僕は料理とかできないし、ユイが作ってくれるならすごく助かるんだよ。味も保障できるし」 男の言葉を聞き、ユイはしばし硬直した後、 「も、もう! そこまで言うんだったら仕方ないかなぁ~」 少し頬を赤くしてニヤニヤ笑いでそう言った。 普通に頼んだだけ、というのはオレも絵描きも大した差はないのに、この扱いの違い。可愛い黒猫さんに対してこの仕打ち。何て酷い。 その後、ユイは恥ずかしがる男に、半ば無理やり食事を摂らせた。 男は両手の握力の問題で、一人で食事を摂るもの困難らしく、 「ほら、あーん」 みたいな感じで、ユイに食べさせてもらっていた。 この様子だと風呂も手伝ってもらっているのだろうと適当に推測。その様が鮮明にイメージできてしまった。実に癇に障る。 まぁ、何だかんだで衣食住のうち、食と住が確保されたわけだ。衣は猫であるオレにとって不要なものであるし、当面の生活においてこれといった問題は無いと言えるだろう。 こうして、オレと絵描きとの生活が始まった。 ◇◆◇◆ オレが絵描きのもとで暮らし始めて一週間が経過した。 この一週間で分かった事を上げてみよう。 まず、この絵描きは一人で生活するのが困難である事。それをユイという女が補助しているという事。 オレがここで暮らし始めて二日目、朝方にユイはやってきた。 ユイは絵描きを起こし、朝食を摂らせ、学校に行くといって足早に出かけて行った。 どうやらユイは大学生であるらしい。という事は、絵描きとユイの年齢はオレの予想 通り、結構な差が有ることになる。この年齢差で幼馴染みというのは、少々の御幣が有るのではないだろうか? ……ああ、だから幼馴染みの”ような”と言ったのか。 昼にもユイはやってきた。大学の休み時間を利用して、絵描きに昼食を届けに来たのだ。因みに、朝、昼両方ともオレの分は用意されていなかった。 夜こそは持って来るようにと、絵描きが何とか説得。ユイはやはり不承不承と承諾した。ホント、癇に障る女だ。 その日の夜は午後九時頃にやって来た。 オレの分は用意してくれているのかと訊ねると、 「はいこれ」 ユイはビニール袋を、ぽい、と放り投げた。オレから少し離れたところに。 屈辱的ではあるが、空腹に耐え切れず、オレは無言で袋の落下地点まで歩いていき、その袋の中を漁った。 「……おい」 「なによ?」 ビニール袋の中に入っていたのは、オレに比べやけに不細工な猫が表紙になった、菓子などが詰まっていそうな袋だ。 「……」 どこからどう見てもキャットフードだった。 「猫なんだからそれでいいでしょ?」 確かにオレは猫だ。猫ではあるのだが、ペット用の食品を食わされるというのには、何とも言えない抵抗が有るのだ。 「いいのよ? 食べたくなければ。でも、それしか用意してないから、あなたの分」 「……」 何? オレ、そんなに嫌われてるの? 絵描きとユイの温かな食事の風景を睨み付けながら、空腹に負けて、オレはキャットフードを貪った。 ふと、ユイの視線に気付く。彼女は勝ち誇ったような。どこか満足げな表情をしていた。怒りが込み上げると同時、今の自分の有様が酷く情けなく思えてきて視界が、じわり、と滲んだ。 「……ぁ」 キャットフード美味ぇ。 ◇◆◇◆ その日の夜中。ユイが帰り、絵描きが床に就いた後の事だ。 オレは微かな物音で、浅い眠りから意識を浮上させた。 物の輪郭が確認出来る程の薄闇の中、目を凝らす。窓から差し込む灯りに照らされて、白いキャンバスが闇に浮かぶ。静かに、長身をたたみ、絵描きはキャンバスの前に座っていた。 数分して絵描きの手が動き、傍らに置いてあった筆を手に取る。が、すぐにそれは手の内をすり抜けるように落下し、冷たい床の上を転がった。右手で筆を握り、落とし、今度は左手で握り、落とした。それを何度も何日も繰り返した。 絵描きのもとで暮らし始めて一週間、最初の日を除き、毎日、絵描きは筆を握っては落とした。 それはただ、絵を描くために。 魔女に願いを託してなお、この男は自身の夢、願いに縋り付く。 それは見る人から見れば、滑稽に映るのだろう。あるいは怒りや反感を買うかもしれない。オレが抱く感情は、後者に近い。 この男にとって絵とは自身の中心に据えるべきものだ。それに関わる記憶とは黄金の輝きを放つ屈強な、愛しむべき宝だ。 でも、それはもう、やはり過去の事でしかないのだ。 いつまでも、未練がましく夢と願いに縋り付く。 でも、それはもう、やはり過去の事でしかないのだ。 手放したはずの願い。何度落とそうとも、その手で掴み続ける筆。そして、筆は手の内をすり抜ける。 絵描きの様子は必死そうではあったが、どうにも熱が感じられない。熱の籠もらぬ半端な足掻き。 まるで亡霊だ。 願いは魔女に託してしまったのだから、もうこの男がすべき事など何も無いのだ。どうせできもしない事をする必要など、どこにも有りはしないのだ。 それでも、男は今夜も筆を握る。 |