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第一章 一章 Cat!
2 森の奥には魔女が住むという。 そんな与太話などきっと誰も心底からは信じていないが、いつの頃からかこの街ではそんな噂が広まっていた。 「あとどれくらい?」 「もうすぐだ」 森に入ってからこんなやり取りが三度行われた。 午後から降り続いていた雨は止み、雨音に代わって森の中では虫の音が響く。 懐中電灯も持たず、オレたちは暗い森の中を進む。左右には鬱蒼と木や草が生い茂り、オレたちが歩く細い道のみが不自然に、導くようにして道になっている。 夜の闇に包まれながら、自分は猫なので夜目が利くが後ろの少女は大丈夫だろうか、と考える。振り向くと、しっかりと着いてきていてオレを見失う様子は無さそうだった。 前を向き、再び夜闇を見据える。この闇を恐れなくなったのはいつの頃からだっただろうか? 子供の頃は必要以上に闇を恐れていたような気がする。確か、闇に溶け、虚空に吸い込まれるような気がしていたのだ。 だがしかし、と思う。本当に自分は闇を恐れなくなったのだろうか? 闇に溶ける自分を想像しなくなったのだろうか? それは目を閉じれば容易な事だ。いつだって自分の存在が闇に溶解し虚空に吸い込まれる様を想像できる。何れは本当にやってくる出来事、あるいはその逆の出来事のように、冷たい黒がオレを包み込む。 きっと、オレは今でも闇を酷く恐れている。消えてしまうのはとても怖い。 普段、闇の中を平然としていられるのは、無関心になったからだ。そんなものに怯えるよりも、そんな詮方無い事を考えるよりも、他に考え、成すべき事が有ったのだ。有ったはずなのだ。 でも、もしかしたらそれはただの幻想で、夢幻で、自分の本質は、本当にただの虚無だったのではないか。成すべき事は確かに有ったはずなのに、それが何だったのか今はもう思い出せない。奥歯がかちかちと情けない音を鳴らし、今すぐ泣き喚いて叫び出したくなる。 自分を覆う闇の温度が下がり、その密度を増す。密度の増した闇は、粘着質に纏わり付く。次第にオレの体は、闇に溶け込んで―― 「……ねぇ」 後ろからの声で、思考が闇から浮上し、輪郭を取り戻す。 振り向くと少女――白玉杏が不安そうな表情で、そこにいた。 「な、なんかさ、歌とか歌ってよ」 恐がりの為にオレは、子牛売られる歌を歌った。 十数分歩き続けると、道が開け、目の前には古めかしい洋館が現れた。 「趣味わる……」 同感だ。 洋館の中は淡い灯りに満たされていた。オレの知る限り、この洋館から灯りが消えた事は無い。 入ってすぐにだだっ広いロビー。眼前には半円状の階段が左右に伸びている。 階段を上り、道幅の広い廊下を進むとまた階段。それを上り、最上階である三階へ。三階に辿り着くと大きな木製の扉。半開きになったその扉の隙間に体を滑り込ませる。少し遅れて、杏が扉を完全に開き入室。 この部屋の広さは尋常ではない。三階にはこの部屋しかないので当然だ。頭上には巨大なシャンデリア。煌びやかな光が、行儀良く整列した幾つもの本棚を豪奢に照らす。床に広がる絨毯の深紅はどうしても血を連想してしまう。マジ趣味悪い。部屋の中心にはアンティークじみた小さなテーブルとイス。 館の主はそこにいた。 「おかえり」 そう言って、館の主――叶(かなえ)は柔らかな笑みを見せた。 綺麗だ。誰もがそう思うだろう。実際、背後では杏が感嘆の溜息を漏らしていた。 腰まで届く長い銀色の髪と琥珀色の双眸という、人間離れしたおよそカラーリング。体格は小柄で極めて華奢。肌は病的に白い。女性の身体はしばしば不健康なものが美しいとされる事が有るが、この女の美しさはまさにそれだ。杏の美しさとは方向性がまるで違う、割れ物じみた美しさ。年齢は不明。本人曰く、成人はしているという話だが、とてもそうは見えない。 「ただいま」 二人の間では馴染みの挨拶。世間話などせず、単刀直入にオレは用件を伝えた。 「アンタに言われた通りあそこで待ってたら、拾われるどころか家出少女を拾う事になってしまった。とりあえず、部屋でも用意してやってくれ。あと飯」 「うーん、部屋を用意してあげるのはいいけれど、無料で無償という訳にはいかないわ」 だろうな。 「それと、ご飯は買いに行かないと無いんだけれど」 まじかよ。 「部屋は幾つか空いているから勝手に使ってもらうとして、その代わり明日から掃除でもお願いしようかしら?」 「掃除なら、ガラクタどもがやってくれてるだろ?」 「形式よ、形式。何かやって貰う事に意味が有るの。それに――」 叶は杏をじっくりと眺めた後、目を細め、 「あなたの場合、身体を動かさないと性能が落ちてしまうわ。ナマクラになってしまうのは嫌でしょう?」 諭すように、確認するようにそう言った。 「……」 僅かの間、杏の顔から表情が失せた。その後、苦虫を噛み潰すような表情。 「とりあえず、掃除をすれば部屋を用意してくれるんだよな? じゃあ、行くぞ」 苦い空気に耐えかねて、オレは杏を部屋から連れ出した。部屋から出る際に、 「ありがとうございます」 杏は叶に頭を下げた。 閉まる扉の隙間から、花の咲いたような笑顔が見えた。 ◇◆◇◆ 「……なに、これ?」 杏を部屋に案内する途中、廊下の真ん中でガラクタに会った。 「一応、ガラクタって呼んでるな」 ガラクタは高さ六十センチ程度の大きさで、用途の違う色々な部品を無理やりに組み合わせてつくられており、人型に近い。人型といっても、頭が大きく首が無く足が短いため、人よりはどこぞのネコ型ロボットのシルエットに近い。 動力源などは一切不明。叶も詳しい仕組みは分からないらしい。昔、知り合いに貰ったのだとか。 目の前のガラクタは箒と塵取りを持ち、廊下の清掃に勤しんでいた。関節を動かすたびに金属が擦れ合う音が廊下に反響する。音だけなら立派なホラーである。 ガラクタは杏に気が付くと、からからと音を立てながら首を動かしその視界に杏を捉えると、しばらく思案するような様子を見せた後、かくっ、と首を傾げた。 「コイツは明日からアンタらと一緒に掃除する事になった、白玉杏だ。よろしく面倒見てやってくれ」 ガラクタは、かくっ、と頷き清掃作業へと戻っていった。 「ねぇ、アンタらってことは他にもいるの? あれ」 「ああ、少なくとも十体はいるな。正確な数は分からん」 「ふぅん。あんたも、あんな感じだったらよかったのに」 「……どういう意味だよ?」 「だって可愛いじゃない。あれ」 分からん。 部屋は二階で空いていたものを一つ、適当に選んだ。 部屋の中は清掃が行き届いている様子で、ベッドなど家具も整っており、既に人の住める形が整えられていた。部屋から生活臭は感じ取れず、やはり誰も使っていない空き部屋である事は明らかだ。手入れが行き届いているのはきっと、ガラクタのおかげだろう。 「つかれたー」 部屋に入り、ベッドを見るなり杏はそう言った。そのままベッドに沈み込む。 オレはベッドの横に都合よく置いてあった椅子に飛び乗った。 「……疲れてるのに全然寝れる気がしない」 てっきりそのまま意識を沈ませるのだろうと思っていたが、杏は布団から頭半分を覗かせて不満げに言った。 「あー、あるよあそういうとき」 寝なれていない寝具も、幾らか関係しているのだろう。 「なんかさ、暇潰しに話してよ。ためになる話とかじゃなくて、最近あったおもしろ話みたいなの」 難しい注文だ。 「ん〜、ためにもならなくて面白くも無い話なら有るけど?」 「じゃあ、まぁ、もうそれでいいや」 それでは、半年前に有った事でも話そうか。 |