DASH!

第三章 Dream.




 自分には輪郭がない/自分はガランドウだ
 何れ崩れて、空虚に還るだろう/内に燈る熱は、いつも安価な紛い物
 ――だから、
 誰もが認める、輝く輪郭が欲しかった/本物の、決して醒めない熱が欲しかった
 真贋など問わず/本物の追求に妥協はなく
 変化を求める/不変を求める
 一つにしがみ付き/幾度も熱を燈し
 積み上げる/飽いて醒める
 ――ふと、
 足元を見れば、瓦礫の山だった/辺りを見渡せば、燃え殻とガラクタ
 その価値と意味を知り/それらに何の価値もないと悟り
 降りる事ができなくなった/立ち上がる事ができなくなった
 見上げた空は高く遠い/星の輝きは目に沁みて
 更に瓦礫を積み上げる/この手は天に届かない

 だから、力が欲しかった。

◇◆◇◆

 煙草の煙が肺を満たしていく。
 身体が熱を増す錯覚。自分は今生きていて、ここにしっかり存在しているのだという実感。煙を吐き出しながら、藁菱康隆(わらびしやすたか)は胸元に有るL字の感触を確かめた。
 足音を立てぬよう注意を払いながら階段を上る。
 現在、藁菱がいるのは、とあるマンションである。このマンションは駅から離れており、近辺に人通りは少なく、まったくと言っていいほど雑音がない。そのせいか、夏場だというのに空気の粘度は極めて低い。
(これじゃ、足音殺すのにも一苦労だ)
 吸い終わった煙草を手すりに押し付けて、火を消す。吸殻を適当に捨てて、胸元からL字状の金属塊――拳銃を取り出した。
 ベレッタM92。正式名称はピエトロ・ベレッタM92。その形状の美しさから、ドラマや映画などでもよく登場する、言わば定番的な拳銃である。定番、と判を押すのは何も形状的な美しさからではない。むしろベレッタの利点はその機能にこそ有る。使用する弾薬が9mmパラベラム弾であるため比較的反動が小さく、また不良品も少ない。コストや重量など様々な面での安定性。つまりは信頼性。それこそがベレッタが定番とされる所以である。
 ――厳密に言うと藁菱が握っているベレッタは、ベレッタM92FSであるが、そういった詳細はここでは割愛する。
(にしても、いつも通りろくでもねえ仕事だ。……あー、帰ってゲームやりてー)
 内心で愚痴を洩らしつつも、ゆるりゆるりとその集中力を高めていく。頭の中から余分なもの、不純物を排除していき、鋭利に研ぎ澄ます。手の内に有る金属塊のように、冷たく醒ます。拳銃を自らの体の一部であると仮定。自分はそういうモノで在ると仮想。
「――」
 集中力が高まるにつれ、仮定や仮想といった類が、そろりそろりと現実という輪郭を帯びてくる。精神や身体が再構成されるような感覚。その片隅に、人間らしい思考を残す。
 拳銃のセーフティを解除して、引き金を引けば的を射る事ができる状態する。
 各階を散策しながら、最上階に辿り着いた。
(懐かしいな)
 廊下を歩きながら藁菱は数年前の事を思い出していた。集中力が僅かに緩む。
 中学、高校の頃、藁菱はここの屋上を友人達との溜まり場にしていた。管理が杜撰で、住人も少なく空き部屋が目立つこのマンションは、溜まり場として最適だった。この場を藁菱城などと勝手に命名し、気心の知れた友人を招いては好き勝手に騒いだものだ。
 昨年、このマンションの取り壊しが決まった。今まで機能していたのが不思議なくらいのものだったが、決定打となったのは、取り壊しが決まる少し前にあった強盗事件だろう。
 包丁を握った無職の男がマンションに侵入。鍵の開いた部屋に片っ端から突入し、住人を殺害。惨殺。金銭を奪い逃走するも当然のように逮捕された。
 以来、ただでさえ少なかった住人は更に減り、少ししてこのマンションの取り壊しが決まった。それが昨年の事。本来ならば、現在、既に取り壊しになっている筈なのだが未だマンションは変わらず健在。
 一応の理由はある。
 取り壊し工事を行う際に事故が多発したのだ。死人こそ出ていないものの、業者たちは気味悪がった。
 それから二月ほどが経ち、近辺で袴の幽霊が徘徊しているなどという噂が流れる。これらの関連性は不明だが、大衆はこの与太話に食い付いた。
 殺人事件があった後の事だ。不謹慎ではあるが、大衆がこれらの事を関連付けたがるのも無理はない。
 自分に襲い掛からない恐怖に対して、人間というのは娯楽の認識を持つ事ができる。恐怖に飢えているのだろう。日常では得られない刺激を求めるが、自らを危険に晒す事はしたくない。だから、外界で刺激物を創り上げ鑑賞するのだ。触れれば皮膚が爛れるような恐怖を、出来得る限り近くで鑑賞するのだ。
 この場合の距離は幻想より成るものなので、鑑賞する対象に対して現実の輪郭や骨格を求める。そうする事で、感覚的に距離を詰めるのだ。
 輪郭や骨格を求める際に、最も容易にそれを得るには、現実と幻想に因果関係を持たせる事だ。つまり、実際にあった事件などを元に幻想を創り上げればいい。
 後は皆でわいわいと騒ぎ立てながら、境界線の向こうにある娯楽を愉しむだけ。時折、境界線を曖昧にしてやれば、より強い刺激を得る事もできる。
(――くだらねえ。死人に口なし。外野が騒ぎ立てるなんて筋違いもいいとこだ)
 屋上で煙草を一本消費し、藁菱はその場を後にする。今のところ、特に異常はなし。
上にはどう報告したものか。そんな事を考えながら、下の階に辿り着く。
 太く震える音が鈍く響いた。
「……」
 エレベーターの駆動音だ。
(……エレベーターは止まってるはずだが)
 それに気を取られたのが不味かった。僅かに弛緩させた集中力も要因である。
 ――どん、と背後から何か柔らかいものとぶつかるような感覚。柔らかい肉の中に埋まっている骨が容易に想像できた。
 僅かに体勢を崩しながら、目線を背後にやるがそこには何もない。
(本当に何も無いか?)
 何かにぶつかったのに、何もないというのはおかしい。疑念。その疑念は幻想の苗床となる。
 目を凝らせば微かに視える現実の歪み。
(……駄目だ。焦点が合ってねえ)
 思考を切り替え、横目でエレベーターの方を確認。扉が開く。
 現れる人影。
 まともな灯りもない暗闇の中では、影の細部、詳細まで把握する事は難しい。それでも、影が人の形をしているというのは分かった。
 人影はゆらりと、それこそ霊の類のように足音も立てずこちらに向かってくる。
「止まれ」
 構わず人影は前進。その手に長物を握り締め、間合いを計るようにゆっくりとやってくる。
 ――銃声。
 藁菱は人影に対し、迷い無く発砲した。狙いは得物を持った左手。――が、それは何かに阻まれ、ただ虚空を穿つのみとなった。
 空薬莢が床にぶつかり、澄んだ音が虚空を満たす。
 続けて、二度、三度と撃つが結果は同じ。その間、人影は微動だにせず。
 ――。
 刹那の思考を経て、藁菱は更に数度発砲し、すぐさま駆け出した。選択した行動は撤退。自身が持てる最高の速度で廊下を駆け抜け、階段を降下する。
 背後からは速い足音。察するに速度は自分と同等、あるいは自分にやや利があるか。
 足の速さには自身があるが、その速さを長く維持し続けるのは困難。速いうちに撒いてしまわなければならない。そう考えていると、――とん、という着地音。
(……マジかよ)
 振り返るまでも無い。追走者は大雑把に階段を飛び降りたのだ。気配はすぐ近くまで来ていた。
 無駄と分かっていながら、数度発砲。やはり何かに阻まれる。
 立て続けの銃声が止むと同時、人影は即座に間合いを詰め、得物を振り下ろす。
 直感的にそれを避け、そのまま半ば転げ落ちるように階段を降下。立ち上がり駆け出す。壁に書かれた数字から今いる階――三階である――を確認し、廊下へ。視界に飛び込む月明かり。
 人影との距離は五メートル程度。人影が立ち止まる。
 そこで初めて、人影の顔を確認する事ができた。
「――」
 月明かりが照らし出したのは、見知った顔だった。蒼い記憶が脳で揺れる。
(――惑うな!)
 人影が動き出すよりも速く、藁菱は廊下から外へと飛び降りた。瞬きの間に地上が迫る。否。迫っているのはあくまで自分の方だ。
 着地の際、可能な限り衝撃を殺す。おそらく足を痛めただろうが、そんな事に構う余地は無し。僅かだけ痛みに呻き、振り返る事などせず、夜闇を駆け抜けた。
 足音は追って来なかった。



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